世界大百科事典(旧版)内の名田制の言及
【請作】より
…しかし,このことは反面請作者の義務不履行がない限り,同一地が同一者によって永続的に請作される可能性を含んでおり,現実には〈年来作手〉〈相伝作手〉などと呼ばれて,作手が世襲される傾向を生んだ。請作地は請作者の貢租負担の単位,領主側からすれば収取単位を示すものとして,請作者たる田堵の名を冠して某名(みよう)と称せられるようになるが,平安末期には,名からのより確実な収取をめざす領主側の欲求と,田堵の請作地私田化の意欲とがあいまって,田堵の土地緊縛と反面その私的土地占有権の強化が進行した結果,名田(みようでん)制が成立すると理解されている。中世の荘園は,一般に名主(みようしゆ)が占有用益し年貢・公事(くじ)を負担する名田部分と,一色田(いつしきでん)・散田などと称された領主直属地とから成るが,後者はやはり荘園内居住の小農民(作人)らによる請作により経営された。…
※「名田制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」