《名華之余薫》(読み)めいがのよくん

世界大百科事典(旧版)内の《名華之余薫》の言及

【フランクリン】より

…宮中でも彼の《自叙伝》が講ぜられ,昭憲皇太后がフランクリンの12の徳目を和歌にし,それが華族女学院の校歌にまで発展する。もちろん,フランクリンが広く日本に受け入れられたのは,その自主,独立,勤労の教えのゆえであり,その《自叙伝》は1887年に《名華之余薫》(御手洗清和訳)として訳出され,国木田独歩なども《自叙伝》によりつつフランクリンの伝記(少年伝記叢書第1巻《フランクリンの少壮時代》1896)を公にしている。明治の興隆期に,フランクリンが立志伝中の人としてモデル化されるとともに,他方その現実主義的な教えのゆえに,世俗的功利主義の代表者として,アメリカ文明の物質主義的側面を象徴する存在かのごとくとらえられるに至ったことも否定できない。…

※「《名華之余薫》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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