呂文煥(読み)りょぶんかん

世界大百科事典(旧版)内の呂文煥の言及

【城攻め】より

…むろん城を守る方でも地道作戦にさまざまの対策がたてられ,城壁下に井戸様の穴を密に掘り,甕(かめ)をかぶって聴音探知する人間を配置し,敵の地道の見当がつくと,城壁上から垂直に穴を掘って,油火を投下した。 城攻めは古来,準備と攻撃に3ヵ月ずつ要するといわれるが,1268年(至元5)秋に始まるフビライ麾下の元軍が南宋の呂文煥(りよぶんかん)が守る襄陽(じようよう)を攻撃した城攻めは,73年1月まで4年半を要し,回回砲(かいかいほう)と呼ぶ新型の大投石機まで登場した最後の決戦でさえ14昼夜かかった。また南京城の攻防は548年(太清2)の侯景の乱が有名であるが,清の同治1年(1862)夏から始まった曾国筌(そうこくせん)が指揮する湘(しよう)軍の太平天国天京攻撃も悽惨(せいさん)を極めた。…

※「呂文煥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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