…翰林院編修を授けられたが,明が滅んだとき,殉死しようとして果たさず,のち強いられて清朝に仕え,国子祭酒となった。彼はこうして両朝の臣,すなわち弐臣(じしん)となったことを生涯後悔しつづけ,〈我もと淮王の旧雞犬,仙に従って去らず人間(じんかん)に落つ〉と歌い,死に当たって墓誌銘を人に依頼することを許さず,墓にはただ〈詩人呉梅村〉とのみ記すよう命じた。詩は初唐四傑や白居易に影響され,六朝の典故に熟するなど,盛唐のみを祖述する復古派とは異なった傾向をうちだした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」