世界大百科事典(旧版)内の呉駿公の言及
【呉偉業】より
…中国,清初の詩人。字は駿公,梅村と号し,江蘇太倉の人。崇禎4年(1631)の進士第二。翰林院編修を授けられたが,明が滅んだとき,殉死しようとして果たさず,のち強いられて清朝に仕え,国子祭酒となった。彼はこうして両朝の臣,すなわち弐臣(じしん)となったことを生涯後悔しつづけ,〈我もと淮王の旧雞犬,仙に従って去らず人間(じんかん)に落つ〉と歌い,死に当たって墓誌銘を人に依頼することを許さず,墓にはただ〈詩人呉梅村〉とのみ記すよう命じた。…
※「呉駿公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」