和邇荘(読み)わにのしょう

世界大百科事典(旧版)内の和邇荘の言及

【和邇】より

…867年(貞観9)には和邇泊(とまり)の修理が国司に命ぜられており,また883年(元慶7)には和邇御厨のあったことがわかる(《類聚三代格》)。和邇荘は1001年(長保3)平惟仲より白川寺喜多院に施入された所領のうちにみえ,また42年(長久3)の寂楽寺紛失状では本田89町であった(《高野山文書》)。その後,山門(比叡山延暦寺)領となり1169年(嘉応1)の根本中堂焼失の再建に杣工を出している(《山門堂舎記》)。…

※「和邇荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む