《哥仙大坂俳諧師》(読み)かせんおおさかはいかいし

世界大百科事典(旧版)内の《哥仙大坂俳諧師》の言及

【西鶴】より

…彼自身,15歳のころ俳諧を始め,21歳のころ点者になったというが,師承系列も明らかでなく,立机(りつき)の時期も,歳旦吟(歳旦帳)の見え始める1672年(寛文12)31歳のころとすべきであろう。翌73年(延宝1),貞門から異端視されていた宗因ら新興勢力の楯となるかたちで《生玉万句(いくたままんく)》を興行,また大坂俳壇の正統的な人脈の中に自己を位置づけるべく《哥仙(かせん)大坂俳諧師》を編んで,中央俳壇進出の望みを果たした。俳風は奇抜な談林風を基調としつつ,世俗の人情や生活に根ざした〈俳言(はいごん)〉を〈軽口(かるくち)〉に任せて速吟する点に特徴があった。…

※「《哥仙大坂俳諧師》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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