《哲学涓滴》(読み)てつがくけんてき

世界大百科事典(旧版)内の《哲学涓滴》の言及

【三宅雪嶺】より

…高島炭鉱坑夫虐殺事件(1888)や足尾鉱毒事件(1907)で坑夫や被害農民を強く支援し,社会問題研究会や社会学研究会に参加し,〈大逆事件〉で幸徳秋水を大いに弁護し,さらに大正期に入り黎明会に参加するなど,つねに新思想に敏感に反応し,徹底した在野のナショナリストとしての姿勢を保ち続けた。そのかたわら,東京専門学校(のちの早稲田大学)や哲学館(のちの東洋大学)で西洋哲学史,陽明学などを講義する研究生活を並行させ,明治年間の単行著作はヘーゲル哲学を紹介した《哲学涓滴》(1889)をはじめ哲学を主とする著書が多い。1907年1月《日本人》を《日本及日本人》と改題して以後主筆となり,09年6月《太陽》の〈理想的新聞雑誌記者〉の第1位に選ばれたが,このころよりその死にいたるまで体系的な著述に着手した。…

※「《哲学涓滴》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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