世界大百科事典(旧版)内の唐公祠の言及
【崇明島】より
…なお明・清時代には,他の江南地方の農村と同じく田地の二重所有制(一田両主制)が存在し,それが近代になっても残っていてよく研究されている。地理的位置から倭寇の攻撃を受けやすく,とくに明代の嘉靖年間(1522‐66)には知県(県知事)の唐一嶺が戦死するほどで,それを記念する唐公祠は文化遺跡となっている。【秋山 元秀】。…
※「唐公祠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…なお明・清時代には,他の江南地方の農村と同じく田地の二重所有制(一田両主制)が存在し,それが近代になっても残っていてよく研究されている。地理的位置から倭寇の攻撃を受けやすく,とくに明代の嘉靖年間(1522‐66)には知県(県知事)の唐一嶺が戦死するほどで,それを記念する唐公祠は文化遺跡となっている。【秋山 元秀】。…
※「唐公祠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...