商鞅変法(読み)しょうおうへんぽう

世界大百科事典(旧版)内の商鞅変法の言及

【商鞅】より

…魏で法家の学を学び,はじめ魏に仕えていたが認められず,たまたま秦の孝公が人材を求めていると聞いて,魏を去り秦に行った。彼は強国の術を説いて信任を得ると,前359年(孝公3)と前350年の2度にわたって〈商鞅変法〉と総称される大改革を断行した。富国強兵の実をあげ,君主を頂点とする強力な中央集権体制の確立を目ざしたこの改革により,秦は一躍して西方の強国となった。…

【秦】より

…その発展に寄与したのが,衛出身者の商鞅(しようおう)である。孝公によって任用された彼は,世に〈商鞅変法〉と称される内政の大改革を断行した。その内容は,軍功に照らして爵位を賜与し,爵位に従って田宅を分与するという富国強兵政策である。…

※「商鞅変法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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