喜多古能(読み)きた・ふるよし

朝日日本歴史人物事典 「喜多古能」の解説

喜多古能

没年:文政12.6.25(1829.7.25)
生年:寛保2(1742)
江戸中期の能役者。シテ方喜多流9代大夫。幼名栄之丞。実父は7代十大夫定能の後嗣で夭折した七大夫長義。8代十大夫親能(長義と同様,定能の養子であった)が養父となる。明和7(1770)年に家督相続。寛政11(1799)年には隠居して似山,健忘斎と号す。和漢の学や,芸道に関する故実に非常に明るく,音曲伝書『悪魔払』,舞伝書『寿福抄』などの著書で自ら流儀に芸の規範を示した。能面についても『面目利書』『仮面譜』のような故実書がある。喜多流中興の祖とも称すべき重要な役割を果たした人物である。

(石井倫子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多古能」の解説

喜多古能 きた-ひさよし

喜多七大夫古能(きた-しちだゆう-ひさよし)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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