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喜多七大夫古能 きた しちだゆう ひさよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

喜多七大夫古能 きた-しちだゆう-ひさよし

1742-1829 江戸時代中期-後期の能役者シテ方。
寛保(かんぽう)2年生まれ。明和7年喜多流9代をつぐ。将軍徳川家斉(いえなり)に重用された宝生流が台頭し,喜多流は不遇となるが,能芸史や能面の研究に精進。「悪魔払」「寿福鈔」「面目利書」「仮面譜」などの著作をのこした。文政12年6月25日死去。88歳。江戸出身。号は似山,健忘斎。

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世界大百科事典内の喜多七大夫古能の言及

【喜多七大夫】より

…江戸初期からはじまる能のシテ方喜多流の大夫の通名。初世は北を,2世以降は喜多を用い,初世以後12世までの歴代大夫は,七大夫と十大夫を通名として交互に用いた。中でも流祖初世七大夫が傑出している。(1)北七大夫(1586‐1653∥天正14‐承応2) 初世。本名長能(ながよし∥おさよし)。堺の目医者内堀某の子(《近代四座(よざ)役者目録》)。1595年(文禄4)2月,10歳のとき〈金剛方七ツ大夫〉として興福寺薪猿楽に出演(〈薪能番組〉)したのが文献上の初出。…

【喜多流】より

…能のシテ方の流派名。江戸初期に一流樹立を許された新興流派。流祖の北七大夫長能(ながよし)(1586‐1653)は,堺の眼医者の子で,幼少のころから能に巧みであった。7歳で器用に能を舞ったことから〈七ツ大夫〉と呼ばれた天才。豊臣氏の後援で金剛座に加えられ,10歳の1595年(文禄4)には金剛方七ツ大夫として記録に見え,十代で金剛大夫弥一の養子となったらしく,元服後,金剛三郎を名のり,金剛大夫として活躍した。…

※「喜多七大夫古能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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