世界大百科事典(旧版)内の嘉慶白蓮教の乱の言及
【白蓮教の乱】より
…乾隆末,甘粛,湖北において弥勒仏の転世者と明裔を称する牛八(朱姓)なる人物を擁立し,献金を集め布教活動を展開していた劉之協が官憲の追捕の的となった。胥吏(しより)の誅求(ちゆうきゆう)をともなう教徒への急な弾圧に,1796年(嘉慶1),湖北各地で教軍が相ついで蜂起し,翌年には四川の教軍も挙兵し大乱となった(嘉慶白蓮教の乱)。教軍は貴州,湖南のミヤオ(苗)族の反乱軍と連動し,官軍の手薄をついたため,その勢いははなはだ盛んであった。…
※「嘉慶白蓮教の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」