世界大百科事典(旧版)内の嘉門次小屋の言及
【上高地】より
…白木は人が背負って徳本(とくごう)峠(2135m)を越えて搬出したが,榑木(くれき)(屋根板の原料)と薪炭は梓川を川下げした。また梓川の流域はニホンカモシカやツキノワグマなどの野生動物やイワナなどの川魚の宝庫で,冬には狩猟,夏には漁労のため上高地に入る人々も多く,現存する嘉門次小屋は,猟師小屋の典型であった。明治中ごろから昭和初めまで徳沢から明神池,小梨平にかけて,国有林を借りて夏の間牛が放牧されていたが,上高地の観光地化とともに廃止された。…
※「嘉門次小屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」