世界大百科事典(旧版)内の四年セイムの言及
【セイム】より
…17世紀中ごろになると,セイムは〈リベルム・ベト〉の濫用で機能を停止してしまった。こうした事態に終止符を打とうとしたのが〈四年セイム〉(1788‐92)である。〈四年セイム〉は〈リベルム・ベト〉による機能停止を未然に防ぐべく,最初から〈連合(コンフェデラツィア)〉の形をとった。…
【ポーランド分割】より
…国際環境がポーランドにとって有利に展開し始めたのである。87年に露土戦争が始まり,翌年にはオーストリアもこれに参戦するに及んで,〈四年セイムSejm Czteroletni〉(1788‐92年に活動し,直接に統治を担当することでさまざまな制度の改革を実現しようとした)は,プロイセンの援助でロシアの圧倒的な影響力を排除する挙に出たのである。プロイセンはオーストリアにガリツィア地方を返還させ,その代りにグダンスク,トルン,ビエルコポルスカ地方の併合を計画した。…
※「四年セイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」