世界大百科事典(旧版)内の四月憲法の言及
【ポーランド】より
…(3)1935‐39年 権威主義体制が公然となったが,同時にそのほころびも露呈されるに至った。35年の4月いわゆる四月憲法はピウスーツキ体制を成文化したものであったが,翌5月,肝心のピウスーツキの死去によって大きな空白が生じた。スワベクら後継者はもはやその空白を埋めることができなかった。…
※「四月憲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...