世界大百科事典(旧版)内の四角土俵の言及
【相撲】より
… 寛文年間の京都四条河原の相撲絵には,屋根のない4本の角柱だけを建てて,柱から柱の間に,紐のようなもので一線を引き,相撲場を区切っている。 これは,人方屋から土俵を発明する過渡期として,境界線らしい区切りを引いて,その四角いなかを相撲場としたのであるが,土俵案出の初期は四角土俵であったことにつながり,元禄以後に丸土俵が出現し,やがて享保ころから土俵外に相手を出すわざも,勝負の裁定に加えられるようになる。 江戸勧進相撲初期のころは,まだ戦国時代の荒々しい気風が残っていたため興行のさいけんか口論が多く,町奉行所は,1648年(慶安1)辻相撲,勧進相撲の禁止令を出して厳重に取り締まったので,生活に困った相撲集団は,けんかのきっかけとなる人方屋相撲場を改良する必要に迫られた。…
※「四角土俵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」