世界大百科事典(旧版)内の回答兼刷還使の言及
【朝鮮通信使】より
…徳川家康以後の歴代将軍は,対馬の宗氏が詐称した場合を除いて,直接使節を送らなかったので,朝鮮から通信使が来日するのみとなり,国書の交換もその際にまとめて行われることになった。徳川将軍への通信使は,通常,1636年(寛永13)から1811年(文化8)までの9回の〈通信使〉に,1607年(慶長12)から1624年(寛永1)までの3回の〈回答兼刷還使〉を加えて,前後12回とされている。初めの3回は,朝鮮側は,宗氏の偽作した国書に対する〈回答〉と,〈文禄・慶長の役〉の際に日本に拉致された朝鮮人の〈刷還〉を名目としたため,こう呼んだ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」