世界大百科事典(旧版)内の国体明徴声明の言及
【国体明徴問題】より
…まず35年2月の第67議会で貴族院の菊池武夫が美濃部達吉(当時東京帝大教授,貴族院議員)の学説をとりあげ,統治権の主体を国家とし,天皇をその国家の最高機関とする天皇機関説は,天皇の絶対性を否定し,天皇の統治権を制限しようとする反国体的なものだ,として攻撃を開始,これに呼応して院外でも軍部の支持のもとに在郷軍人会や右翼団体などの運動が全国的に展開されることとなった。岡田啓介内閣もこれに屈して,4月9日には《憲法撮要》など美濃部の3著書を発売禁止処分とし,さらに8月3日には第1次,10月15日には第2次の国体明徴声明を発して,天皇機関説を国体に反するものと断定,この学説の排除を決定した。国体明徴運動はこれによって終息したが,政府はさらに11月,文相を会長とする教学刷新評議会を設置,その答申に基づいて,37年5月,文部省は《国体の本義》を刊行した。…
※「国体明徴声明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」