《国語学原論》(読み)こくごがくげんろん

世界大百科事典(旧版)内の《国語学原論》の言及

【時枝誠記】より

…27年京城帝大助教授,33年教授にすすみ,43年橋本進吉の後任として東京大学教授となる。はじめ《国語学史》(1940)を発表してその記述態度・方法において学界の注目を集め,さらに第2次大戦中の《国語学原論》(1941)においてはみずから〈言語過程説〉と命名した言語本質観にもとづく国語学の体系を公表し,やがて戦後の学界に新しい刺激剤となった。近世国語学者鈴木朖(あきら)の説に傾倒し,それを敷衍して文法論の基礎に心的過程の差によって生ずる詞(し)・辞(じ)の区別を説くとともに,品詞論においてのみならず構文論にわたって,巧みな比喩を論理にちりばめながら新説を立てた。…

※「《国語学原論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む