世界大百科事典(旧版)内の国際新教育連盟の言及
【新教育】より
…1898年にフランスの教育改革者ドモランJ.E.Demolins(1852‐1907)が《新教育L’éducation nouvelle》と題する著作で,中等教育のカリキュラムの改革と生徒の自主的活動を重視すべきことを強調し,さらにほぼ同時期にイギリスのC.レディ,ドイツのH.リーツ,アメリカのJ.デューイらによって新しい理論や実践がなされたことで,新教育は一つの運動となった。1921年には国際的な新教育運動のための組織として国際新教育連盟Ligue Internationale pour l’Éducation nouvelle(International New Education Fellowship)も結成されるにいたった。 日本では日露戦争直後に京都帝国大学教授の谷本富(たにもととめり)(1867‐1946)がヨーロッパ,アメリカにおける新教育に学んで日本にも新教育運動が必要とされることを説いて,教育界に波紋をひきおこした。…
【ドクロリー】より
…帰国後,1901年知恵おくれと障害者のための教育施設を自宅につくったのをはじめ,07年にはブリュッセル郊外に普通児のために〈生活による生活のための学校L’école pour la vie,par la vie〉を創設した。第1次世界大戦後はブリュッセル大学の教授となり,21年フランスのカレーで結成された国際新教育連盟では,イギリスのエンソールBeatrise Ensorとともに中心的役割を果たして注目された。彼が設けたいわゆる生活学校の教育法は〈ドクロリー法〉といわれているが,伝統的な権威主義教育の打破をめざす,子どもの欲求と興味を重視した生活総合カリキュラムである。…
※「国際新教育連盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」