世界大百科事典(旧版)内の国際社会主義大会の言及
【インターナショナル】より
…しかし新しい国際組織は,国際労働者協会の後継者をもって任じてはいたが,正式な名称も規約もなかった。1900年の第5回大会以降,国際社会主義大会と称するようになったが,第三インターナショナル(コミンテルン)の動きが胎動し始めてから,それと対比的に第二インターナショナルと呼ばれるようになり,それが一般化した。このパリ大会では,なかんずく,8時間労働日要求のために,翌1890年5月1日を期して国際的に示威運動を行うことが決められた(メーデーの起源)。…
【ドメラ・ニーウェンハイス】より
…オランダの政治家で,労働運動の指導者。生地アムステルダムで神学を修め,ルター派牧師となる。1879年《万人の権利Recht voor Allen》誌を創刊して聖職から退く。81年成立した社会民主同盟(SDB)の書記長(1882‐87)となり,また普通選挙同盟を結成。上掲誌の記事(筆者は別の人)により罪に問われ,1年間投獄され,釈放後の国外旅行でエンゲルス,カウツキーなどを訪問した。ベーベル,リープクネヒトと協力してパリで国際社会主義者大会(1889)を開催。…
※「国際社会主義大会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」