土佐冠者希義(読み)とさのかんじゃまれよし

世界大百科事典(旧版)内の土佐冠者希義の言及

【土佐国】より

…平安後期には藤原氏や平氏の知行国となる場合も多かった。【玉井 力】
【中世】

[鎌倉時代]
 土佐における源平の争乱は1182年(寿永1)9月,長岡郡介良(けら)荘にいた流人土佐冠者希義(源頼朝の弟)が平家家人に討たれたことに始まる。その後,希義に通じて一時土佐を逃れていた夜須(やす)行宗(行家)の先導する伊豆有綱軍の土佐入国があって,土佐の武士で源氏に荷担するものもようやく多く,壇ノ浦の戦には夜須行宗のほか安芸時家・実家兄弟などの軍功が伝えられている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」