坂高麗左衛門(読み)さか・こうらいざえもん

朝日日本歴史人物事典 「坂高麗左衛門」の解説

坂高麗左衛門

没年:寛永20.2(1643)
生年:宣祖19(1586)
江戸初期の萩焼の陶工。文禄・慶長の役の際に渡来した朝鮮王朝(李朝)の陶工で,萩焼の開祖李勺光の弟,名は李敬。来日後坂助八と改名,兄勺光と共に萩城下松本中之倉の松本窯薪山御用焼物所で陶業に従事し,兄の死後,遺子山村新兵衛(松庵)を養育し,寛永2(1625)年新兵衛が萩藩初代藩主毛利秀就から「作之允」に任ぜられるとほどなく,「高麗左衛門」に任ぜられ,3人扶持米9石を給される。坂家は3代新兵衛から御用惣都合を勤め,藩窯松本窯の中核を成した。また初代の子蔵崎五郎左衛門は深川村三ノ瀬(長門市)に移り,深川焼(深川萩)を開いた。明治に入ると藩窯から民窯へと転換するが,伝統の茶器を作り,現在は12代高麗左衛門。

(伊藤嘉章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android