朝日日本歴史人物事典 「坊門親信」の解説
坊門親信
生年:保延3(1137)
平安末・鎌倉前期の公卿。中納言正二位。右京大夫信輔の4男。後白河院の近臣で,院の分国伊予(愛媛県)の守,内蔵頭,大宰大弐,右馬頭など得分の大きい官職を歴任。その後,兄信隆の娘七条院の生んだ後鳥羽天皇が即位すると,すでに死亡していた兄に代わり,天皇,国母の側近として朝廷に重きを成した。定輔,親兼,仲経らの子息も後鳥羽の近臣の最たる者となり,特に孫信成とその子親成は後鳥羽に最後まで奉公し,後鳥羽からその後生を弔うべく摂津国水無瀬荘(大阪府)を与えられて,水無瀬家を興した。そのため親信は,後世水無瀬流の祖と仰がれた。
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報