《城主たち》(読み)じょうしゅたち

世界大百科事典(旧版)内の《城主たち》の言及

【ロマン派演劇】より

…フランスのロマン派の源泉は,実はドイツの疾風怒濤の成立に影響を与えたJ.J.ルソーにまでさかのぼることもできるが,シュレーゲルの劇理論やドイツ・ロマン派の紹介としてのスタール夫人の《ドイツ論》(1810)が果たした役割は大きいし,シラーの《群盗》も大きな影響を与えている。1830年に,ユゴーの《エルナニ》のフランス座上演によって劇場騒動が起こり,古典派の妨害に対してロマン派が勝利を収めた話は有名であるが,43年にはやはり彼の《城主たち》の失敗がロマン派の終焉を告げることになった。悲劇に美のみならず,崇高と怪奇をとりいれて生の真実を示そうとするのが彼の演劇論の骨子であったが,現実の舞台で上演される劇作としては破綻(はたん)を示したのである。…

※「《城主たち》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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