堺南荘(読み)さかいみなみのしょう

世界大百科事典(旧版)内の堺南荘の言及

【和泉国】より

…57年(長禄1)には鳥取光忠以下日根郡内9人の国人が一揆契状を結んだことが知られ,応仁・文明の乱中の73年(文明5)には和泉一国規模の国一揆が成立し,一揆側は主体的に本所一円地荘園からも兵糧米を徴収していたことが判明している。 京都の相国寺塔頭(たつちゆう)崇寿院領であった堺南荘は,1419年より年貢730貫文を住民が納入する地下請所となり,堺は貿易の発展とも相まって自治都市として発達した。室町初期には万代屋,草部屋,野遠屋など屋号をもつ豪商が出現し,大商人がパトロンともなって独自の文化が芽生え,《正平版論語》などのいわゆる〈堺版〉と称される印刷物が流布するようになった。…

※「堺南荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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