堺枯川(読み)さかいこせん

世界大百科事典(旧版)内の堺枯川の言及

【堺利彦】より

…明治・大正時代の社会主義者。号は枯川。一時,貝塚渋六(貝塚は千葉の監獄名に,渋六は四分六分の獄中飯による)の名を使用。福岡・豊津の生れ。貧乏士族の三男として自由民権思想の影響を受けて育つ。第一高等中学校に入学するが,放蕩の末に中退,大阪や福岡で小学校教員や新聞記者生活を続けるかたわら,兄の感化で小説を書きはじめ,軽妙洒脱な文章術を磨く。その後,毛利家編集所で《防長回天史》の編纂に従い,歴史への関心を養うとともに,山路愛山らと交わる。…

※「堺枯川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」