世界大百科事典(旧版)内の堺荘の言及
【堺[市]】より
…この小堂は,平安時代にさかんになった熊野参詣路に設けられた九十九王子の一つであって,摂津,和泉,河内の3国の国境(くにざかい)に当たっていたので,堺の名称がつけられた。 中世初期には荘園となり,北荘(摂津),南荘(和泉)と二つの集落にわけられており,南北両荘をあわせては堺荘と呼ばれていた。一漁港にすぎなかった堺は,南北朝時代から背後に摂・河・泉をひかえ畿内と瀬戸内海を結ぶ港として,軍事的・政治的な要地となり,急速に都市的発展をとげた。…
※「堺荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」