世界大百科事典(旧版)内の塩屋八ヵ浦の言及
【枕崎[市]】より
…宝永年間(1704‐11)に紀州から森弥兵衛が来て鰹節製法を伝えてからカツオ漁が盛んになり,1825年(文政8)の坊津との訴訟文書には〈当分御領内でも稀な繁栄浦で,鰹節,菜種,鰤類を大坂へ売り出す〉と,その繁栄ぶりが書かれている。浦ははじめは枕崎浦,白沢津浦の2ヵ浦だったが,1767年(明和4)には塩屋八ヵ浦を加えて3ヵ浦になった。1683年(天和3)永野金山,芹ヶ野(せりがの)金山とともに薩摩の三山といわれる鹿籠金山が藩の直営で開坑した。…
※「塩屋八ヵ浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」