朝日日本歴史人物事典 「塩谷朝業」の解説
塩谷朝業
生年:承安4?(1174)
鎌倉時代の歌人。信生とも。宇都宮成綱の子。下野国(栃木県)塩谷荘の領主。建久5(1194)年流罪となるが許されて源実朝に近仕。実朝の死を機に出家して上洛,兄蓮生(宇都宮頼綱)と共に法然の門弟証空の弟子となり,嵯峨中院に住み西山派と深くかかわった。往生院への所領寄進や,法然の遺骨護持などに活躍。家集『信生法師集』の前半(『宇都宮朝業日記』とも)は,東国への旅を描く。京,鎌倉,宇都宮の往還により和歌の文化を東国に伝えたことは注目される。蓮生,子時朝と共に宇都宮歌壇の基礎を築き,その所産『新和歌集』に34首入集。また『新勅撰集』以下にも14首入集。<参考文献>外村展子『宇都宮朝業日記全釈』
(田渕句美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報