壬生匡遠(読み)みぶ・ただとお

朝日日本歴史人物事典 「壬生匡遠」の解説

壬生匡遠

没年:貞治5/正平21.5.4(1366.6.12)
生年:生年不詳
南北朝時代の官人,壬生官務家当主。父は左大史千宣。主殿頭,記録所勾当,修理東大寺大仏長官,左大史となり,建武3/延元1(1336)年大宮官務家の冬直のあと,北朝にあって官務となった。太政官実務の先例典礼に精通していたので,周囲から重きをおかれた。壬生家にあっても同族大宮家をおさえ発展し,同家中興の基礎を築いた。左大史の位は相当の六位を越えて,平安時代末には五位になったが,匡遠は初めて従四位下,のちに正四位上に叙せられ,家格を高めた。日記が残存するが断簡である。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「壬生匡遠」の解説

壬生匡遠 みぶ-ただとお

小槻匡遠(おづきの-ただとお)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

グレーゾーン解消制度

個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...

グレーゾーン解消制度の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android