小槻匡遠(読み)おづきの ただとお

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小槻匡遠」の解説

小槻匡遠 おづきの-ただとお

?-1366 南北朝時代の官吏
壬生流(みぶりゅう)官務家小槻于宣(ゆきのぶ)の子。正和(しょうわ)5年主殿頭,建武(けんむ)3=延元元年官務となる。備前介,記録所勾当(こうとう),修理(しゅり)東大寺大仏長官などを兼任。後醍醐(ごだいご)政権下では記録所や雑訴決断所につとめた。貞治(じょうじ)5=正平(しょうへい)21年5月4日死去。日記に「匡遠宿禰記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む