外郎家(読み)ういろうけ

世界大百科事典(旧版)内の外郎家の言及

【外郎】より

…元朝が滅びたとき,礼部員外郎であった陳氏(宗敬,延祐,順祖などの名が伝えられるが,不詳)が日本へ亡命してきて博多に住んだ。多才な人で,とくに薬方にくわしかったため,足利義満は上洛を求めたが応ぜず,その子(宗奇,あるいは大年)が京都に移り住み,以後代々医を業として外郎家と呼ばれ,透頂香(とうちんこう)などの薬をも製した。《長禄二年以来申次記》などによれば,外郎家では毎年1月7日,12月27日に将軍に謁し,薬を献上する慣例であった。…

※「外郎家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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