世界大百科事典(旧版)内の大中臣孝正の言及
【新見荘】より
…現在の岡山県新見市の北西部から阿哲郡神郷町の北東部にわたる広大な地域を占める。平安時代の末ころ,大中臣孝正の開発した所といわれ,孝正はこれを官務家の小槻隆職(おづきのたかもと)に寄進した。小槻隆職はさらに上級の権門の保護を得るため,建春門院平滋子とその子高倉天皇を本願とする最勝光院に寄進,かくして新見荘は最勝光院を本家,小槻氏を領家とする荘園となった。…
※「大中臣孝正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」