世界大百科事典(旧版)内の大乙の言及
【殷】より
…後の周の人びとが殷とよぶようになるが,その理由は明らかではない。
[歴史]
殷王朝は,《史記》によると成湯天乙(いわゆる湯王,甲骨文では唐,大乙とよぶ)が,夏王朝の桀(けつ)王を倒して滅ぼし,創設したといわれる。夏王朝の存在は確認されないが,甲骨文の発見によって殷の存在は確認され,王系による逆算と,考古学的年代測定とにより,大乙による王朝の創立は前17世紀末もしくは前16世紀初と推定されるに至った。…
【湯王】より
…殷の始祖契(せつ)より14世目。武湯,武王,天乙,成湯ともいわれ,卜辞では唐(湯と同音),成,大乙と書く。亳(はく)(河南省偃師県)に都をおき,伊尹(いいん)などの賢臣を用い,異民族をも心服させ,その徳は禽獣にもおよんだという。…
※「大乙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」