朝日日本歴史人物事典 「大内義信」の解説
大内義信
平安末・鎌倉初期の武将。信濃源氏,盛義の子。惟義,朝政の父。平賀冠者と号した。平治の乱(1159)に出陣し,敗北後も源義朝に従った。元暦1(1184)年源頼朝の推挙により武蔵守となり,同国守護の役割をも果たす。文治1(1185)年の義朝の遺骨埋葬の際には特に参列を許され,同5年奥州合戦時の鎌倉進発軍交名では筆頭に記され,建久3(1192)年頼朝の征夷大将軍の除書拝領には義信の亭が用いられた。頼家の乳母の夫であり,また実朝の元服時には加冠の役を務めた。このように義信は源氏一族として御家人中高い地位にあった。武蔵守在任中の事績は「民庶雅意に叶う」として称賛され,頼朝は後代の国司がその例を守るように国庁に壁書させた。
(西村隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報