改訂新版 世界大百科事典 「平賀義信」の意味・わかりやすい解説
平賀義信 (ひらがよしのぶ)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…中世,信濃国佐久郡に所領を持った武家。平安末期に源義家の孫にあたる盛義が,信濃国佐久郡平賀(長野県佐久市)に住したのを始めとする。盛義の子義信は平治の乱(1159)に際し源義朝に従い,治承・寿永の内乱では源頼朝にくみした。鎌倉幕府が成立すると義信は武蔵守に,その子惟義(大内氏)は伊賀守護に,朝雅は伊勢守護に任ぜられ,重用された。朝雅は北条時政の娘婿であったが,1205年(元久2)時政の朝雅将軍擁立策に連坐し,京都で殺された。…
※「平賀義信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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