世界大百科事典(旧版)内の大利根博物館の言及
【佐原[市]】より
…佐原は1898‐1931年の間は国鉄成田線の終点で,水運と鉄道の結節点の商業都市として発展したが,近年は水郷大橋の架橋,JR鹿島線の開通,さらに東関東自動車道の開通によって茨城県南部にも商圏が広がっている。水郷の中心地でもあり,与田浦に10万本のハナショウブが咲く水生植物園や大利根博物館があり,釣りの名所でもある。市内に伊能忠敬旧宅,忠敬の墓がある観福寺などがあり,夏に八坂神社,秋に諏訪神社で行われる佐原祭では山車(だし)が繰り出し,佐原ばやしが演じられる。…
【水郷】より
…各所に輪中堤が築かれて牧歌的な風景がみられたが,1964年からの圃場整備事業の進展,水郷大橋の架橋,JR鹿島線,東関東自動車道の開通などで景観が一変し,現在は加藤洲(かとうず)十二橋や与田浦にその面影を残すにすぎない。ハナショウブの咲く6月に観光客が多く,与田浦に120種,10万本のハナショウブをもつ佐原水生植物園,水郷や利根川流域の生活を紹介する大利根博物館などがある。佐原は水郷の入口,潮来(いたこ)は奥座敷といわれ,《潮来音頭》《潮来甚句》など水郷情緒豊かな民謡もあり,周辺の河川,湖沼は釣り客が多い。…
※「大利根博物館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」