世界大百科事典(旧版)内の大利根河原の決闘の言及
【笹川繁蔵】より
…長じて一時江戸に出て相撲取りになるが,帰村して常陸芝宿の文吉の子分となり,跡目をついで利根川沿岸の大親分となる。縄張り争いから,俠客平手造酒(みき)を助っ人として飯岡助五郎と〈大利根河原の決闘〉を行い,のち助五郎に暗殺された。講談・浪曲の《天保水滸伝》では善玉として描かれている。…
【平手造酒】より
…江戸の神田お玉ヶ池の千葉道場の俊英であったが破門され,田舎回りの剣術指南で歩く浪々の身となった。下総の笹川で博徒の親分繁蔵と知り合い,その客分となり,大利根河原の決闘で斬り結ぶうち全身に傷を負い,後に死んだ。この平手造酒のイメージは,講談,浪曲の《天保水滸伝》で作られたものである。…
※「大利根河原の決闘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」