世界大百科事典(旧版)内の大化薄葬令の言及
【殉葬】より
…さらに従死ないし殉死は隋・唐から明・清にまで及ぶという。日本では《魏志倭人伝》に卑弥呼が死んだとき奴婢百余人を殉葬したと伝え,《日本書紀》垂仁紀には近習者を生埋めにした話が記され,〈孝徳紀〉のいわゆる大化薄葬令では,人と馬の殉死や殉葬を禁止している(薄葬)。しかし,最近長野県で殉葬した馬と推測される墓が発見されただけで,人の殉葬は遺跡の上ではまだ確認されていない。…
【薄葬】より
…こうした事実は,推古朝前後における造墓規制の存在を示している。第3は,646年(大化2)3月に公布された詔,いわゆる大化薄葬令である。大化薄葬令については,その実質的な効力を疑問視する論考が多いが,この詔はあくまで,王以下から庶民に至るまでの身分秩序の確立を目ざしたものとみなすべきだろう。…
※「大化薄葬令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」