世界大百科事典(旧版)内の大原正純の言及
【飛驒郡代】より
…代々世襲し,特殊な知識と経験を必要とする鉱山・山林関係の職務や口留番所の管理を主務とした。はじめ84人であったが,1789年(寛政1)13代大原正純が,いわゆる大原騒動の責を問われ遠島処分に付されたときに多数解職され,以後三十数名に減員した。1868年(明治1)1月,官軍の飛驒入国を前に25代新見正功が江戸に逃走し,これによって飛驒郡代の支配は終焉した。…
※「大原正純」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」