大唐平百済国碑銘(読み)だいとうへいひゃくさいこくひめい

世界大百科事典(旧版)内の大唐平百済国碑銘の言及

【定林寺址】より

…高麗時代の平瓦のなかに,太平8年(1028)と定林寺の銘が印されたものがあり,この寺は連続的に存続していたと考えられるところから,定林寺の寺名が百済時代までさかのぼることを思わせる。五重塔の初層塔身四面に,いわゆる大唐平百済国碑銘が刻まれている。義慈王20年(660)に,百済が唐・新羅連合軍に敗れたとき,唐軍によって刻まれた百済滅亡時の記念碑ともいうべきものである。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」