世界大百科事典(旧版)内の大坂与七郎の言及
【説経節】より
…このように説経節は本来,大道芸や門付芸であったが,その中から三味線を伴奏とし,人形をとり入れて操り芝居を興行するものがあらわれた。
[操り興行]
《色道大鏡》(1678成立)巻八に〈説経の操は,大坂与七郎といふ者よりはじまる〉とあって,大坂では,伊勢出身というこの与七郎(説経与七郎)が寛永(1624‐44)ころ,生玉神社境内で操りを興行したと伝え,明暦~寛文(1655‐73)ころには説経七太夫も興行を行ったと伝える。この七太夫が江戸の佐渡七太夫の前身であろうとする説がある。…
※「大坂与七郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」