世界大百科事典(旧版)内の大宮家の言及
【小槻氏】より
…のち官務という)になってからは,同氏長者が官務を世襲する例となり,鎌倉時代以降は主殿(とのも)頭を兼ねて,両職をほぼ独占世襲するに至った。鎌倉時代の初め,隆職(たかもと)が一時官務を罷免され,その兄永業の子広房がこれに代わったため,同氏は隆職流の壬生(みぶ)家と広房流の大宮家に分かれ,氏長者と官務の地位を争ったが,1551年(天文20)大宮伊治の死没によって大宮家は断絶し,官務家は壬生一流に帰した。壬生官務家は江戸時代においても地下(じげ)官人を率いて朝廷の朝儀,公事の運営を支えたが,明治維新後華族に列し,男爵を授けられた。…
【四条家】より
…贈太政大臣藤原房前の子左大臣魚名の三男美作守末茂から出て,平安時代末の中御門中納言家成の男権大納言隆季を始祖とし,以後四条家と称した。家名は隆季が四条大宮に居を構えたのにちなみ大宮家とも称した。当家は包丁道の家として有名で,料理調進の作法を伝えているが,また笙(しよう)を家業ともした。…
※「大宮家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」