世界大百科事典(旧版)内の大島総左衛門の言及
【大島高任】より
…幕末・明治の採鉱冶金学者,近代製鉄技術の先駆者。本名総左衛門,号は周禎。南部藩侍医を父として盛岡で生まれる。1842年(天保13)江戸に出て,箕作阮甫,坪井信道のもとで学ぶ。46年(弘化3)21歳のとき,藩命により長崎でオランダ医学を学ぶように指示され留学をする。しかし,医学を修めることより蘭書を読むことに熱中し,西洋の兵法,砲術,採鉱,製錬術などの知識を得る。その間に同学の士手塚謙蔵(のち律蔵を名のる)とともに,オランダのリエージュ国立鋳砲所の大砲鋳造法を著した《西洋鉄熕(てつこう)鋳造篇》を訳出し,大砲鋳造,鉱山冶金技術に関する知識を身につけた。…
※「大島総左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」