大日本修斎会(読み)だいにほんしゅうさいかい

世界大百科事典(旧版)内の大日本修斎会の言及

【大本教】より

…王仁三郎は戦争によってさらに富を増大していく資本家・地主といった人々に激しい憤りを燃やし,日本人の大多数を占める庶民を不幸に追いやる戦争を強く否定しつづけた。 金明霊学会はやがて大日本修斎会へと発展し,16年には皇道大本と教団名を改称しつつ,多くの信者を獲得した。18年教祖出口なおは世を去ったが,五女すみが2代教主となり,王仁三郎が教団の指導者となって教団の運営がすすめられた。…

【出口王仁三郎】より

…なおと王仁三郎の二人三脚の教団運営がはじまる。同年金明霊学会を大日本修斎会と改称,翌09年には機関誌《直霊軍》を発刊,17年には《神霊界》を発行した。1909年には神殿の建設がはじまった。…

※「大日本修斎会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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