世界大百科事典(旧版)内の大日本沿海実測全図の言及
【伊能図】より
…忠敬は測量成果の集大成の途中,全国図完成前に死去したが,彼の死後は高橋景保の監督下で作成され,1821年(文政4)に完成した。大図(1里を3寸6分で表現し,縮尺にして1/3万6000,214枚),中図(1里を6分,縮尺1/21万6000,8枚),小図(1里を3分,縮尺1/43万2000,3枚)からなり,すべて手書きの彩色地図で,〈大日本沿海実測全図(実測輿地全図)〉と総称される。道線法を主体に,無数の交会法を加味した測量法により,さらに緯度の測定を天文観測により行って作成されており,地図の内容は京都を通る経線を0゜とし,海岸線とおもな街道およびこれらに沿う町村名などが精密に記されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」