大村家信(読み)おおむらいえのぶ

世界大百科事典(旧版)内の大村家信の言及

【大村氏】より

…藤原純友の子孫と称す。大村家信が1289年(正応2)蒙古合戦の恩賞として肥前神崎荘で田地3町と屋敷を配分されており,同氏の蒙古合戦への参戦がわかるほか,同氏が鎌倉御家人であった可能性を示している。鎌倉末期には大村が含まれる彼杵荘内に少なくとも五つの大村を名のる家があったことがわかり,1333年(元弘3)10月大村太郎,大村三郎入道らは守護大友貞載より深堀明意らの乱妨を停止するよう命ぜられ,35年(建武2)10月30日に大村平太入道は筑後豊福原合戦に武家方として参戦している。…

※「大村家信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...

春隣の用語解説を読む