世界大百科事典(旧版)内の大村純前の言及
【大村氏】より
…鎌倉末期には大村が含まれる彼杵荘内に少なくとも五つの大村を名のる家があったことがわかり,1333年(元弘3)10月大村太郎,大村三郎入道らは守護大友貞載より深堀明意らの乱妨を停止するよう命ぜられ,35年(建武2)10月30日に大村平太入道は筑後豊福原合戦に武家方として参戦している。時代がとぶが1539年(天文8)1月29日以前に大村純前(すみあき)は有馬氏らとともに上京しているが,このとき国元で京商人に為替銭7000疋を渡し,京都で5000疋受けとっているのは金融,流通史の面で興味深い。また同年閏6月3日に純前は将軍足利義晴と対面を遂げており,室町幕府の奉公衆としての待遇をうけている。…
※「大村純前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」